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会社の歴史

当社発祥地の碑(千葉県大多喜町)

当社は、1931年5月に「大多喜天然瓦斯(株)」の社名で創業した、わが国で最も歴史ある天然ガス事業会社です。1956年に、ガス販売部門を独立させ別会社(現、大多喜ガス(株))とし、新たな飛躍の期待を込めて、1957年1月1日に「関東天然瓦斯開発(株)」と社名を変更しました。
創業当時は、千葉県の大多喜地区周辺だけであった開発地域も数年後に茂原方面に拡大し、茂原地区を中心に開発地域を順次拡大して、天然ガス生産量、売上高ともに順調な発展を遂げました。また、1937年にはいち早くヨウ素事業に進出する等、事業領域の拡大にも積極的に取り組んでまいりました。

現在は、国産天然ガス事業のパイオニアとして、天然ガスの効率的な生産技術の研究を行いながら、環境に配慮した開発を推進し、貴重な国産資源の生産者としてたゆまぬ努力を続けています。

  • 沿革
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天然ガスの利用

一宮川(千葉県)の水中から湧き出る天然ガス(昭和25年撮影)

川面に湧き出る天然ガス(昭和25年撮影)

千葉県茂原市付近では、天然ガスを「燃ゆる気」と呼び、ガスの徴候を示す土地を「土気(とけ)」と呼んでいました。茂原に程近い、千葉市緑区には同名の地が存在し、駅名(JR外房線)にもなっています。

露頭ガスに点火して湯を沸かす農夫(昭和25年撮影)

畑でガスに点火して湯を沸かす農夫(昭和25年撮影)

千葉県大多喜町では、「農夫が畑に出たおりには、地面に小さな孔を掘り、そこから出てくる天然ガスに点火して昼食の湯を沸かしているのがしばしば見かけられた」そうで、明治時代中ごろには天然ガスが発見され、わずかながら生活の中で利用されていたようです。

ガス灯

天然ガスによるガス灯の利用(昭和25年撮影)

天然ガスによって灯りをとるため、千葉県茂原市付近では、終戦後しばらくの間、ガス灯が利用されていました。

圧縮天然ガス自動車

圧縮天然ガス自動車とそのトランク内部の様子

現在では環境負荷が小さいことから、エコカーとして天然ガス自動車の普及が進んでいますが、既に戦時中のガソリン不足の状況下でも、ガソリン車の代替として圧縮天然ガス自動車が数多く見られました。

かつての関東天然瓦斯開発

茂原鉱業所(千葉県茂原市)

茂原鉱業所(千葉県茂原市)

当社は、1935年に千葉県大多喜町から茂原市に進出しました。
以来、同市の発展とともに歩み、現在に至ります。
地域発展の原動力になった天然ガスについて、郷土の詩人白鳥省吾は、「おらが茂原の天然ガスは、打ち出の小槌か福の神」と謳っています。

多摩川鉱業所

多摩川鉱業所

1956年に営業を開始した多摩川鉱業所は、構内にガス井戸を1本有して、圧縮ガスの製造・販売を行いましたが、1959年に閉鎖しました。

澱粉法のヨウ素製造設備

澱粉法のヨウ素製造設備(千葉県大多喜町)

澱粉(でんぷん)法とは、かん水中のヨウ素を澱粉(でんぷん)に吸着後、抽出・精製してヨウ素を製造する方法で、1938年6月から操業を始めましたが、生産効率が悪かったため、1944年9月に操業を停止しました。

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